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福 田 晃
えてくれているし、判例もそのようです。 17条地域の調査士は、公図地域の境界確認は、現況を合意すれば良いだけだから「ウラ ヤマシイ」と羨望の目で見ているようです。 一方、公図地域の調査士は、17条地域の境界は地籍図の成果を数学的に復元すればよ く、原始境界の確認なんか必要ないから「ウラヤマシイ」とこれまた考えているようです。 17条地域にしても、公図地域にしても、元々境界は明治の地租改正作業によって創設され た。とされているから、その後の特別法により創設されたものを除けば、不登法で言う境界 は、明治の100年前に立ち返って確認しなさい。それが原始境界よ!!と言うことになるよう です。それは100年前に作製された公図を復元しなさい、と言うことでもあります。 だが、17条地図は、この原始境界を確認して作製された地図であるとして、法務局に納めら れ、登記地籍は更正され、原則この地図に表示登記手続は拘束されているのに、一方判例 は、これを行政庁の内部資料で国民の権利義務に直接効力を有さない、として原則否定して いるようです。 それゆえなのか、17条地図をもとに境界確認の申請をすると、旧閉鎖公図の添付を求めら れ、17条地図の境界線を否定されることがあります。 都合によって肯定し、都合によっては否定すると言う二面性をもって、うまく両者を使い分け ていると、凡人の頭では思えてならないのです。 調査士会でも、このことが再三議論されておりますが、国でもって、ニワトリか卵か、どちらか が先である事を明確に示さないかぎり、これから100年も200年も同じ議論を繰り返すだけで はないでしょうか。 17条地域のことに関しては、これ以上ここでは省かせてもらいます。 ● 公図の出世 公図地域の公図は、17条地図のような作業基準によって作製されたものではないし、一部 専門家が作製したと言われているものを除けば、明治初期の村人自らが作製したものである ことは衆知の通りです。 ですから、地域によっては、現在の地図に匹敵するような精度のものもあれば、また、非常 にずさんな談合図のようなものまで色々のようです。 ・・・が、概ねは乙1〜乙2の精度はもっていたようです。 しかし、この公図は土地の状況を把握して地租徴収の基礎資料とするために作製されたも ので、現在のように不動産の権利関係を公示するためでなかったことは皆さんも知っている通 りです。 そのため、作製後は十分な管理がされなかったようです。とくに境界管理がずさんだったの ではないかと思います。 地租を徴収するのには、所有者と面積が把握できればよく、境界線は無視されがちになるの は理の当然であると、私のような凡人でも判断出来ます。 その上現在でもそうですが、権利が優先された社会背景があったため、公図や境界線はま すます無視され、そのことが公図を混乱させたものと思います。 私の町では、昭和50年頃まで、 権利なんかどうでもええんよ!、権利さえちゃんとしときゃ!。 と権利先生達が言っていたことを思い出します。 我々調査士にしても、公図なんか!、こんなもん!、境界は所有者同士がええと言やあそれ でええんよ!。といってはばからなかったのです。 責任を感じております。ハイ 昭和40年の初め頃までの地積測量図は、机上分筆があったり、隣地を取り込んだりが当た り前で、いかに公図がある程度の精度をもっていたとしても、混乱するのが当たり前です。 公図はこのように、元々原始境界とか復元とかをするもの、出来るもの、として作製されてな いものに、さらに作製から80年近くの年月をかけて粗悪なものにしておきながら、あたかも、 あるかのごとく決めつけてしまって、今では17条に準ずる地図にまで出世させられておりま す。 さぞ公図にとって、胸の痛む出世ではないでしょうか?。 ● 時すでに遅く その公図が、現在の表示登記にとって大変重要なものであることに気付いたときには、すで に時遅く、地図混や集合表示の地図まで作り出して、今となっては元に戻しようがなく、四角な 土地も三角や丸いと言って争い、殺人事件まで起こしているのが原状です。 ほとんど地番の配列を知る以外に役にたたなくしてしまった公図も、17条に準ずる地図とし て備え付けられたからには、現地の境界も公図と一致しなければなりません。 殺人事件に巻き込まれたら怖いから、原始境界なるものを確認しようと、公図に手を合わせ るようにして調査をし、現地にいってみる。 なんと!、公図の反撃?。現地とはまったく違う!。 私は知らん、先人が悪い!。・・・と他人のせいにしたところで、公図は元には戻ってくれませ ん。 現地が正しく、準ずる公図が間違っていても、その根拠を示さなければ地図訂正ができませ ん。 80年近くにもわたって混乱させてきたのに、その根拠など解るはずもなく、ただただ、おこと わりするのが常となっております。 ● 対 策 こういう時には偉い先生に聞くにかぎる。 先生!、原始境界なるものはどのようにすれば見つかるのですか?。 さすが先生! それは「神だけが知っている」。しかし神は呼んで来ることが出来ないから、神に変わって裁 判官が決める。裁判官の決めた境界が、たとえ間違っていたとしても、それは世の中の約束ご ととして、神が決めたことになる。 うううん・・・・、なるほど!。 では、境界を裁判官に決めてもらわないと測量出来ない?。 原始境界は神と神の次に偉い裁判官にしか決められない。しかし、世の中の約束ごととされ る裁判官は別にして、神の次に一番近いのは所有者である。 所有者というのは一番その土地について利害を持っている。そして古くから現実に支配もし ている。そして色々な問題も知っている。さらにその所有者がイエスと言っておれば、後々問題 が起きることは全くない。さらに加えて、境界確定の訴えの適格当事者である。しかも、皆さん は個人間では所有者の立会はもう必要不可欠であると考えている。 そして、もしその所有者が決めた境界が、神や裁判官から見て間違っていれば、間違った部 分については譲渡されたものと見做す。 ????・・・、なるほど。しかしそれは「合意境界」と我々凡人が言っている境界と同じで は?。 ● すべてが薮の中 そうすると原始境界は神と裁判官が決めるもの。俗世間で行われている境界確認は境界で はない。 登記は原始境界を確認しなければならない。しかし境界でないとされる境界で登記がなされ ている。 それならいっそのこと、登記は合意境界でいいよ!。原始境界は争いが起こったときだけ裁 判できめればいいよ!。と言ってくれれば凡人には解りやすいのだけれど。 それにしても、本当の境界をよく知っている古老等が決めても、所有者が違うと言えば、それ は間違っていることになる。 登記官がいいよと言ってくれればよいが、めったにそんな幸運には当たらない。 筆界とは、原始境界でもあり、そうでもなし!?。 官庁も境界は協議(契約=合意)であると言ってはばからず、法務局もその協議書を境界線 証明書として認めております。 神しか知らない境界を確認しても、本当のところはなんの役にも立たないのではないでしょう か?。 自作農の手続のように、一度台帳閉鎖をして、改めて登録地成をすれば原状にあった、新し い境界線を引くことが出来て良いと思うのですが。 一方、調査士はなにをすればよいのですかね?。原始境界を確認するのが義務であるとさ れているので、その義務を真面目に行使して境界を見つけだしても、それは調査士の勝手で すよ、そんなものは所有者が認めない限り境界等と言わないよ!。と言うのが原状です。 それならば、所有者のわがままにお付き合いをして、きりの良いところで、まあまあまあと割 ってはいり、仲裁をして、そして境界線証明書をとっておけば、後で問題は起こらない。こんな 楽なことはない。それで数十万円になるのならバンバンザイである。 コマーシャルじゃないけれど、マアイイジャン、楽して儲かりゃマアイイジャン!!!。 喜ぶのはまだ早い!。現在では問題が起こると、調査士は登記官と共同被告になるそうであ る。法務局側もそう願っているそうである。 調査士にはなんの権限も無いのに!。 いやいや、数十万円ももらったのだからそのくらいのことには目をつぶってもらわないと!。 そうそう、善官義務と言う法律があるそうな、やむをえん。 これからはヤバイと思えば、忙しい、体調が悪い、親父が死んだ、と逃げるが一番。皆さんも 励行を!。 それにしても、凡人の頭の中は薮の中である。 ● 凡人の愚痴 凡人には、チャンとした基準点があって、そこから復元すると精度の問題は残るとしても、復 元が出来る。それが原始境界よ!!、と言ってくれれば、単純に理解が出来るのだが、・・・ 日本の偉い人達は、どうも単純な事がキライらしい!。 基準点にしても、精度良く堅固なものを設置して、それを完全に維持管理して、官庁も市民も 恒久的に利用すれば、ひとつの座標成果で統一した作業が出来、保存も閲覧も管理も一箇で よく、しかも簡単に出来るものを!、その上、経費も永い間には数百分の一となるものを! 現在は、国、県、市町村がそれぞれに、しかもそれぞれの中でも、各部、各課がそれぞれの 作業ごとに基準点を設置し、作業が終わると簡単に亡失させて、まるで湯水のごとく費用を消 費しているようにしか、凡人の目には見えないのだが。 偉い人たちは単純なことがキライなように、経費節減もキライなのでは?、凡人はいつもこの ように愚痴るから凡人と言われるんでしょうねェ!! それにしてもスウェーデンなどでは、100年まえに統一的基準点が設置されて、国管理の地 図課があって、土地の分筆などは、そこの証明書が無ければ受理されないと聞いております が、まさに凡人の望むシステムのように思えてなりません。 日本は土地が経済の基本とされているようですが、それにしては不登法に定められた17条 の地図が備えられず、境界に関する法制も無く、境界確認のための過去の資料や、地籍図の バックデーターの保管の規定もなく、境界は知識も経験もない者に確認の権限を持たせ、それ を不自然とも思わず、国は何もしてくれないなら、それなら国民自ら境界を定めようとすると、 それは原始境界ではない、国民に境界の処分は許さないよ!。だけどなにもしないよ!。文句 も言わせないよ!。 ああ・・・また愚痴ってしまった。 ● 凡人の空威張り 凡人には神は見えない!。 見えないから怖くない。それが凡人唯一の強さである。 原始境界が神の目にはピンク色に見えるのか、オレンジ色に見えるのか知らないが、原始 境界線を明治時代に引いたのは人間ではないか!!。 人間が引いたものなら、どんなにして引いたか聞いてみたらええじゃないか。なに、引いた人 間はもうおらん?。そんなら資料かなんか残っとるじゃろが!。それに、明治はもう文明開化の 時代じゃから、線を引く規則や法律を作っとったじゃろ!。それを見れば全部とは言わんが、 少々は解るじゃろが!。 凡人も一生に一回位はエエことを言うものである。 ● 凡人の見た原始境界 凡人に教えられて、まず資料を探して見た。 驚いた。時代映画でしか見たことのない大副帳に、毛筆で求積図が書いてあり、その周りに は道の巾や溝の巾、反別が書いてある。 これが神に見える原始境界か?。と鬼の首を取ったように喜んだのだが、どうもこれだけで は糠喜びは出来ないらしい。 しかし神に見える境界線には近いらしい。 そこで、凡人の言うことを信じて、規則や法律を探してみた。 これまた驚いた。太政官布告、官達、事務局達、別報、大蔵省達、内務省達、議定、内訓、 口演、等々原始境界線にかかわるものは200を越えてある。 これなら神にしか見えない境界も見えてくるのでは!?。とすぐ凡人は神に近づいた気になっ てしまう。 が、神は凡人なんぞの近くに居る筈がない。読めども読めども、どのようにして地図を作った のか見えてこない。一筆の野取図をつなぎ合わせて作れ、と書いている。 だから野取図をつなぎ合わせてみる。しかし、けっして公図のようにはうまくつながらない。し かし、誰もが野取図をつないで作ったと思っている。 これをつないで、公図が作れなければ神には近づけない。 そこで、ある大先生に聞いてみた。 公図は野取をつないでも作れません。幕藩時代の地図作製技術を勉強しなさい。と、教えて くれた。しかしなにを勉強すればよいのか解らず、いまだ、凡人のままであります。 明治は遠くなりにけり・・・ほんとだなあ! ● 凡人の境界確認 凡人は神に近づこうなどと思うのが間違っている。凡人には、どう頑張ってみても「合意境界」 にしか辿り着くことができません。 それならば、出来るかぎりの資料を集めて、原始境界に少しでも近づくように努力をしてみ て、あとは合意境界に徹すれば、調査士としての義務を果たすことが出来るのではないかと思 っております。 そのため、日頃凡人は登記簿と公図のほか、必ず土地台帳の閲覧をし、旧閉鎖地図、改租 野取、畝順帳、肩書訂正、更正野取、畦畔野取等を取り寄せて現地と公図、現地と野取、野 取と公図を対比して、その昔交換分合がなかったか、その後の法で改変されていないか、地 物は昔からのものか、現在のもので公図や野取と相違するものは、空中写真を取り寄せて参 照してみるようにしております。 昔の地形が公図や野取とほぼ一致すれば、ほとんど乙2位の精度にはいってくるようです。 もし入らなくても、畦畔や法など求積から省かれた部分の現況を調査すれば、それなりに正し いように見えてきます。 どうしても解らないときには、神と裁判官の次に偉い所有者に任せるよりほかに道はありま せん。 凡人が日頃収集している資料の一部を後にのせておきます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
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