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福 田 晃
を据え、気分良く測量して帰れば、それで測量が終わるから「ウラヤマシイ!」と、法17条地図 地域の先生方は羨望の目で見ておられるようです。 その通りです!。私の今までの公図地域の測量はピクニックのようなものです。 補正も理論も無く半対回測量で終わってしまう幼稚園並みの測量を深く反省し、せめて義務 教育程度の水準に達したいと積極的にいろいろ各地の研修会や勉強会にも積極的に参加し ていますが、難しくていまだに卒業出来る状態ではありません。それでも、境界線を恒久的に 復元特定するためには、「基準点設置しか無い!」。との結論を実感できるまでにはなりまし た。話はどうも横道にそれてしまいました。 公図地域での作業の実務について自分の業務内容を報告しなさいと言う事ですので、ここか らは私の日常の業務を交えながら説明したいと思います。 土地家屋調査士の職務で大切なものの一つに境界確認があります。 愛媛県の公図地域の公図は、課税のための附属資料として作成され、法17条地図のように 復元を目的にしていなかったため、誤差論や数学的に復元することは不可能で、概ね、公図 やその他の資料と現場が一致していれば、後は合意によって確認するのが現状のようです。 もっとも山口県や香川県に存在する「分間図」と呼ばれる公図は、地籍調査図に匹敵する精 度を持ち、これによって境界を復元しているそうですが、やはり基準点があるわけでは無いの で、合わせ図(不動点法か?)によって復元していると聞いております。 地域差は色々あると思われますが、私が業務を行っている地域の公図は、地租改正作業に よって作成された改祖図(地域により色々呼び名が違う・・・)がほとんどで、先の分間図のよう な優れた精度のものは残念ながら有りません。 しかし、自分の経験では少なくとも作製当時は乙2〜乙3位の精度を持っていた事は間違い ないと信じております。 地租徴収は所有者と課税面積が特定出来れば、その所在や境界が曖昧であっても、徴税に 支障とならないから、権利の登記のみが優先されるようになり、附属資料であった公図の精度 などは、作製以後どうでも良かったようです。 この考え方が慣習となり、その後の分割手続きや、特別法での作業に、大きな影響を与え て、地図を混乱に陥れております。 分割手続きによる混乱は衆知の事実なので、余り知られていない特別法による混乱の例を 上げれば(塚田先生の講演の中から採用させていただきました。) 明治33年 地上権に関する法律・建物保護に関する法律 この施行により、借地上の占有境界と法定境界が混同され、その後の手続きが 占有境界によって行われたため混乱を生じている。 昭和6年 農山村漁村振興法 これにより農道、水路などが整備され、公図と違った位置に付け替えられたが登 記処理が放置されたため、後日違ったままでの現況で分割されたりして、混乱し ている。 昭和15年 国家総動員法 国益のための名目で、公共事業、軍事産業の用地を取得するため、公図や境 界線を無視した強制供出をさせたが、登記手続きはしなかった。 このために、現在地図混乱地域となっているところが多い。 昭和18年 土地休閑地を食料増産のために増員する件 布達 これにより、河川の高水位敷、国府県道等の並木、溜池の堤塘敷、農水路の 法面、土揚げ場などが開墾され、現在もその多くが占有されたまま、測量分筆さ れ混乱の原因になっている。 昭和21年 自作農創設特別措置法 最も地図を混乱させた原因は、この時であったようです。全国で3860万筆の土 地が適用を受け、その登記手続きは緊急を要したため、すべて占有境界で処理 されたり、字の区域を越えて合筆されたり、公図の上で分割して売り渡し、現地 は好きな所を占有させたりしたため、大混乱している。 その後も永い間、権利優先の考えのもとに、登記手続きがなされたことによって、地図が混 乱し、現在に至っているのは衆知の通りです。 100年余りもの間、このような粗雑な扱いを受ければ、公図でなくても作製当初のまま残るこ とはありません。今も市民がこの悪習慣から抜けきることが出来ないでいるのは当然です。 昭和35年には廃棄される寸前でした。 それゆえに、境界線の確認も声の大きな者に左右されたり、当事者の都合で境界線を当た り前のように動かしたり、勝手に改変された境界線を躊躇なく(実は躊躇する知識も無かった が・・・)原始境界に仕立てあげ、当事者がここだと言えば、そこが原始境界になると言う、実に 「あいまい」な作業が長年に渡って行われ、それを公図の粗雑さのせいにして長年、土地家屋 調査士の名声を高め(低め?)てしまった。私もその筆頭者です。 昭和48年に香川の塚田先生から「公図の年輪」と題した講義を受けました。 内容は明治期の地租改正作業でしたがこの講義には本当に驚きました。晴天の霹靂という か、当時の地域の社会背景では、境界確認に地租改正法が持ち出され、その理論や資料に 基づいて、境界が確認される事など、全く無かったのです。 勿論、知識も全く有りませんでした。 おかげで「あいまい」だった、私の調査も少し進歩する事が出来ました。
失敗は数知れず、経験年数のみを積み重ね。それでもなんとか頑張っている調査士の境界 確認の方法を上げてみます。 公図地域によく見られる公図と現況とが一致しない場合の調査です。 後の頁に搭載の事例(2509−1)には次の2点に問題があります。 ・別紙の公図と現況図との東側境界線(2503−3との境)が一致しない。 ・公図の北側に国有地(2512−2)が表示されているが民有地である。 この現地を調査するのに、まず下記の資料を収集しております。 (地域によっては保存されていなかったり、閲覧が禁止されているようだが・・・) ・旧閉鎖図面 ・反別畝順帳・・・(明治14年頃迄に作製されている) ・改祖野取図・・・(明治14年頃迄に作製されている) ・地押調査野取図・・(明治18年から21年にかけて反別を更正したもので、この反別が土 地台帳の原始記載となり現在に至っている) ・肩書訂正・・・・(地押調査の際に官有地の存否や幅員を再調査し訂正記録したもの) ・土地台帳・・・・(明治22年3月31日) (参考のため、収集資料のすべてを登載しました) 明治20年6月20日「地図更正ノ件」が大蔵大臣から発せられて、全国の改祖図が、地押調 査とともに、更正されていなれければならないのですが、「齟齬セサルモノハ更ニ調製スルヲ要 セス」の条文があったため、現在と同じく、大変費用と手間のかかる更正地図の作製は省略 し、多くは旧地図を援用して、地押調査による反別の更正のみに留めた。と言われることか ら、このようなケースでは、公図は旧改祖図であることが予想できます。 この事例では、収集した地押野取図を接合して現況図と比較してみました。 明らかに現況が更正野取図と一致し、地図は旧改祖図を援用したことが伺えます。 また、収集した野取図が、更正された地押調査図であるかどうかは、畝順帳と比較し、増、と か減、の表示が野取の反別に記載されている事と、また地押野取の反別が土地台帳の記載 と一致することによって判断出来ます。 また、これらの資料により、公図北側の国有地の表示部分は、1210番、1212番の内溝及 び木生地であり、いずれも民有地であることが確認出来ます。 この事例では、距離や面積もほぼ乙2〜乙3の精度で一致しておりました。 地図訂正の申出手続きは、これらの資料を添付して、利害関係人と共同で申出しておりま す。印鑑証明などは付けません。勿論、境界確認書は添付します。 登記官も、この資料で立件処理しないヤボな方はおりません。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() あります。 (時には粗末なものも見受けますが・・・) 更正図の頃になると、測量の作業基準や、それまで「あいまい」な処理しかされていなかった 「畦畔や法敷」の扱いが、はっきりと法制化されたことによるものと思われ、境界確認には大変 役立ちます。 更正図の無い土地の調査は、改正野取を参考にしながら、「えいっ」と目をつぶり、神さんに 一番近い(偉い先生の講話による・・・)所有者同士が談合した境界を、原始境界に仕立てあ げます。時には真面目に空中写真を使います。 争いのある土地は、きっぱりとお断りすると大変気が楽です。 ただし皆さんにはお薦め出来ませんのであしからず。 公図は、17条地図のように、一定の精度や一つの作業基準によって作製されたものは無 く、精度も作業基準も「バラバラ」のものを、かき集めて法務局に納められたものです。 それらの不完全な公図でも、明治から100年も利用してきて、尚現在も十分に利用出来てい るのだから(利用したことあるのかね?)、立派な17条に準じた地図である!・・・と国が言う以 上、ボロ地図め!!と胸の内で叫びながら、活用するしかありません。地籍調査の金さえ出し てくれれば、こんな苦労もせんですむのに・・・。 愚痴を言っても金は出してくれません。 ボロ公図を活かすしかありません。ボロ地図だからと言って、馬鹿にしてボロなりの扱いをする と、ボロのプライドにかけて、落とし穴を一杯作って待っております。 落ちると訴訟が待っております。 落とし穴に落ちないように活かすには、作製時の法令をシッカリ身に付けた上で、過去の資 料を収集して補完しなければ、十分な活用が出来ません。 資料のほうも、100年余りも捨て子扱いされて来たのです、保存状態も一部を除き最悪の状 況です。しかも法令が廃止されているため、保管所の職員も、次第に資料の重要性を認識出 来なくなり、倉庫の隅に追いやられて、ネズミの巣の材料になりかけております。何とか出来な いものでしょうかね!。 そうそう、ボロ地図とは言っても公図は地目別に着色されて、昔の多くの土地情報が盛り込 まれていたのに、マイラーに再製(再悪)したため、情報が省略されて、ボロの上に大の字が付 いて、今では大ボロと成り下がっております。 かわいそうに!!。 公図地域の調査で欠かせないのが、土地台帳の閲覧です。 土地台帳には、一筆一筆の土地の歴史が、明治22年から昭和35年登記法改正による一 元化作業が完了するまで、約100年に渡って記録されております。 それに比べ、現在の登記簿は、過去の情報を移記閉鎖してしまって、経緯を読み取る事が 出来ません。 一筆の土地は、境界が創設されてから、分・合筆されたり、閉鎖して新に登録地成されたり、 開墾されて境界線が変ったり、その後の法令(耕地整理法、自作農創設特別措置法等)で大 きく改変されたり、一元化されたりしておりますが、これらの経緯は土地台帳でしか知る事が出 来ません。 特に、不動産の境界を見い出すには、土地台帳の経緯を閲覧して、その時々の資料を収集 しなければ、境界線を確認することは不可能です。 17条地域の先生方は、国土調査法の作業基準と言う、理論をもって調査作業をしておりま す。 公図地域の調査士も、境界が創設された時の法令と資料とで、理論武装しなければ、現在 の権利意識の高い市民のニーズに、答えて行くことが出来ないだけでなく、訴訟の当事者にな りかねないと、私の貧しい頭で考えている次第です。 それでは次に、土地台帳を閲覧して調査する作業例を挙げてみます。 (土地台帳の見本です、こんなに多くの情報が記載されておりす。) ![]() 土地台帳を閲覧して、分筆申告書を収集しなければ調査が出来ない。 公図には、地番が遺漏していたり、現地と筆界線が相違するものが数多くあります。 これらの、ほとんどは、一元化作業(私の業務地域では昭和46年2月)以前の、土地台帳法 による分筆申告手続きに起因しております。 この頃のほとんどが机上分筆されており、境界確認は勿論の事、現地の実測もせず、公図 の地形に合わせて求積図を作製しております。 100年近くも粗雑な扱いを受け続け、公図の多くの地形が変形してしまっているのですから、 現地と齟齬するのは当たり前です。 権利優先の慣習が、根深く社会全体に根をおろしていたからでしょう!。 次のページがその例です。 机上分筆された求積図と公図を対比すると、地図の地形に合わせて机上分筆されたのがよ く分かります。現況図とは考えられないほど齟齬しております。 この申告書の求積図で、原始境界の復元などは不可能です。 付近の求積図を接合し、地番の配列の確認をするのが精一杯です。勿論、求積図がうまく接 合出来ることなどありません。 後は、神さんに一番近い所有者同士の談合を待つ以外に方法は有りません。 それでも分筆申告書を収集しなければ、地番の配列さえ確認する事が出きないのです。 印鑑証明書を添付しての地図訂正の申出を、受理するかどうかは、登記官の心証と、その 日の機嫌の如何にかかっています。
![]() ![]() 自作農特別措置法の適用を受けた土地は土地台帳の閲覧を要する。 昭和21年施行の自作農の適用を受けた土地は、全国で3860万筆に及んだと記録されて おります。 昭和60年の全国の土地は、推計2億3000万筆(登記白書による)と記されていることから も、いかに膨大な数であったかが伺えます。 これらの登記手続きは緊急を要したため、特別法で数年の内に処理されております。現在同 様の処理をすると30年はかかると何かに書かれてありました。 現在の登記簿にも、移転登記を省略した「欄外登記(ミミ登記)」をよく見かけます。 表示に関する登記は「大蔵農林省令2号」(次頁資料の通り10条の条文からなる)により、分 筆、合筆、台帳閉鎖、登録地成の台帳処理がなされ、その分筆申告書や通知書の控えが、市 町村の農業委員会等に保管されております。 これらの表示登記(申告)手続きも、緊急を要したことから、誤りや公図の手入れの出来てい ないものが多く、土地台帳を閲覧して、大蔵農林省令の手続資料を収集しなければ、所在や 境界の確認が不可能なものが大半です。 ここでは、大蔵農林省令2号2条の代位分筆、5条の登録地成の事例をあげてみます。
![]() ![]() 2号2条の事例 これは、政府が(都道府県知事)買収等をしようとして、分・合筆・地目変更の手続きが必要な ときは、土地所有者に代位して申告ができる特例です。 この特例事例によって買収し、売り渡された土地が、集計出来ない程沢山あります。 次頁の事例は、131番14の土地の現況と、公図の所在位置が相違するので調査した事例 です。 土地台帳の沿革欄に、「昭和23年大蔵農林省令第2号第2条の通知を受け本番の14を付 し別紙に登録」と記載されております。 この閲覧をもとに、私の業務地域では農業委員会に行き、保存されている申告書の控えを 収集します。この資料収集で代位分筆された131ー14の土地が、公図の位置と明らかに相 違していることがわかります。 このようにして、所在位置の確認は出来ても、境界の復元はできません。 それは緊急を要したためか、測量しないで机上分筆で面積計算されているためです。 境界線の特定は、現況と土地所有者の合意に頼るしか方法はありません。 求積されている土地でも、乙2〜乙3の精度で現況と一致することは、ごくまれにしか見られ ません。精度内であったにもかかわらず、その後の社会の混乱で、境界が大きく変動したのか も知れませんが・・・・。 いずれにしても、自創法による取得は「原始取得である」、と言われたことから、地図訂正を することもなく、隣地や国有地を取り込んで求積し、売り渡しているのだから、公図と一致する はずがありません。 後始末をする調査士の苦労を、理解してくれる人はおりません。
![]() ![]() これは、政府が(都道府県知事)、開墾見込み地(未墾地)を買収して、耕作能力のあるものに 売り渡すため、台帳閉鎖して、新たに登録地成(表示登記)等をする為の特例で、山麓地等で 多く見られます。 一つの字の地域で、200筆もの登録地成が見られる所もあります。 次頁の事例は、測量求積されたが、申告手続きの際に、所在図の作製を誤ったために、現 況と公図が齟齬している事例です。 この事例、申告の際に、2411番40と2411番41の土地の、所在図の作製を誤ったため に、その後、隣地間で争いが生じ、調査したものです。 求積図では、どちらも進入路があるのに、所在図では袋地となっている事に起因します。 この事例のように、過去の資料調査を怠ると、原因がはっきりしていても、争いを解決するこ とが出来ません。 次に添えた事例は、ある地域の登録地成の、求積図と所在地です。 この地域では約200筆の、新たな土地が登録されて売り渡されております。 この地域の調査をするには、土地台帳を閲覧し、これらの資料を収集しなければ、一筆地の 筆界調査は不可能です。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 村が課税のために作製して法務局に送付した所在図、等様々な公図が混在し、同じ地域で2 〜3枚の違った地図が存在したり、精度がバラバラで法的根拠もあやふやなものも数多くあり ます。 公図地域で、境界を復元し、精度をチェックしての調査は、耕地整理地区、土地改良区、区 画整理地区、公共作業規定に基づく地積地積測量図が提出されている地域、等に限られま す。 後は、概ね公図と現況の地形が一致していれば、過去の資料、地形、地物、境界標、古老 の証言、古文書等を参考にして、土地所有者の合意のもとに境界を確認します。 私の業務地域では、「公図が原始境界線」の理論を適用したくても、市外地の一部を除き、 地図が粗悪なため不可能です。 もっとも、最初から粗悪だったのではなく、過去100年の間の先人の扱いによったためで す。
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