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福 田 晃
司法書士@氏・・・100坪分筆やっといてよ! トチカヤ氏 ・・・ (小さな声で)測量を… 司法書士@氏・・・権利さえちゃんとでけとりゃあ表示なんかどうでもええんよ! トチカヤ氏 ・・・ 後でもめたら困るけん! 司法書士@氏・・・何のために裁判所があると思うとん?もめたら裁判所が解決してくれるが ね!裁判官は調査士の責任能力なんか認めとらんよ! 昭和48年頃の話です。 このころ、「トチカヤ調査士」とおお方の市民はこのようにしか読まなかったのです。 ♯ トチカヤ氏は、昭和40年の後半に開業しましたが、このころはまだ測量に際し、境界の立 会をすることが少なかったようで、依頼人や仲介業者に境界の立会を請求すると 馬鹿もんが!お前は「ワシ」が測れ言う所から測ったらええんじゃ! それがでけんのしゃあ頼まん! 先輩に話すと、「所有者の言うとおり測量するのが調査士じゃあ!」と教えてくれました。 境界の立会もせずに、後でもめたらどうするんじゃろか?と不思議に思ったものです。 なるほど、先人の事例を見ると *机上分筆されたもの *間口と奥行きだけ測って、明治の十字方のような求積をしたもの *都合のよいように地形を変えたもの など 依頼人の都合の良いように処理された事例がいくらでも見つかります。 ♯ この頃は、原始境界の理論を唱える調査士は皆無だったし、この知識さえ持ち合わせてい なかったのです。 (大阪等ではこの頃すでに調査士の間にも、理論が確立していたようです) 現況の境界を立会して、地積測量図を製作すれば、知識人や法務局からは、出来の良い 調査士と褒められた位です。 新人調査士の皆さんは、先輩達の昭和50年初め頃迄の地積測量図を見て、調査士の 品位もプライドも無かったのでは?・・・ と疑問に思うでしょう!! この頃の分筆登記に対する法務局の実地調査率は、0。35パーセントしかされなかった。 と香川保一先生の著書に記されてます。 トチカヤ氏も、地図や現地の混乱に気付き、建物しか実地調査にいかないある登記官 に、建物よりも分筆登記の実地調査を主に行っては?と話したら、 「土地は行ってもわからん!!。」 と答えがかえっって来たのを覚えておりります。 法務局でさえ、土地の登記にはそのような対応しかできないのだから先の事例の手続や 依頼人の言うとおりの申請がなされても、そのまま受理されて登記されてしまうのも当たり前 だったと思います。 また、原始境界を唱える登記官も、まだいなかったように記憶しております。 ♯ 昭和48年頃から、日本列島改造論の影響で、土地が活発に売買されるようになりました。 それまで、長年現況測量や机上分筆をしてきたのでから、必然的に境界紛争が起こり、裁 判所に提訴されるのは当然ですね!。 そして証拠資料として、現況測量や机上分筆されたものが提出されるのもまた当然のこと です。 それらの証拠資料を見た裁判官が、調査士には法定境界線を確認する責任能力は無 い!。と言い切ったのも当然のことです。 法定境界線を確認する専門職は調査士だ、と信じていたろうに、そのショックは大きか ったろうと思います。 ♯ なぜ、このような品位もプライドも無い手続が行われてきたのか?、その一つに判例があ るようです。 〔境界鑑定研究講座から抜粋〕 大正年間に共有者の一人が一筆の土地の一部分を、自分の単独所有地として区画して、そ れを取り引きした事例について、 それは有効だ。土地の所有者が合意して区画し、所有権の移転登記をすれば、 登記簿上は持分移転として共有の形は残っても、現実の土地の引き渡しが終わっていれば いいのだ。という判決を下しております。 個人が自由に区画した、私法上の境界による処分も有効である。 と判決したので、この時から昭和30年に判例が変更されるまで、「公法上の境界」と「所有権 の範囲の境界」の二つが混在したそうです。 ♯ この判決がその後、強く調査士の業務に影響を及ぼし、現況測量や机上分筆でも、登記 と現況が齟齬しても、有効なんだ。と考えられるようになったのだと思います。 先人の手続は間違っていなかった!?!?。 この判決が「登記法の言う境界は公法上の境界である」と改められたのは、昭和30年から 32年にかけて、の最高裁の判決からです。 〔土地境界鑑定の手引きから抜粋〕 ♯ 判例が変更されても、長年国民の生活の中で「なじんできた」大正の判決が、急に国民の 中に浸透するものではありません。 地価が安く、土地売買が少なかったトチカヤ氏の地方では、土地の境界に対する考え方 はおおらかで、境界紛争で訴訟が起こることなど、ほとんど無かったので、末端まで浸透す るには、相当の年月がかかったようです。 多分、昭和50年末から60年頃の事だったと思います。 判例の変更など、どこ吹く風であったようです。 調査士が理解出来ず、旧判例の考えのもとに手続が行われてきたのも、無理なかったと 思います。 勿論現在では、調査士の境界鑑定書は、原告も被告も納得できるし、大変判決がしやすい、 と裁判官から言われるようになった。と連合会報は報告しております。 もう一つの理由は社会背景にあるようです。 それは明治の土地創設の時から、畦畔を削除して求積するなど、土地の境界線は、直線と か幾何学的な線ではなく、大きな巾をもったあいまいなものであったこと。 大地主が、日本のほとんどの土地を個人所有し、小作させたため、利用権の範囲は重要で あっても、筆界線はどうでも良かったこと。 (大正の判決はこのあたりから出たのでしょうか?) 徴税上、土地の境界は重要でなく、所有権さえ明確であれば良い、と言う権利優先の社会背 景があった。と言われていることから、 これらも大きく影響したと思います。 藤原政弥氏の「土地家屋調査士法の誕生」の著書のなかに、調査士の前身である調査員の 話があり、 「土地は徴税の対象としてあるので、分割という技術的なものは、その場その場に応じて対 処すればよいのであり、面倒な仕様は必要ない。」 と言う明治政府の姿勢が記されております。また、 世間は「あれでは食って行けないだろう」と調査員を評している記事があります。 この明治政府の姿勢が社会背景を作りだし、長い間調査士の地位向上や手続の改善の妨 げとなったのでしょう。 明治政府に技術を無用視され、世間からは「食っても行けない」と評された調査員が、 昭和25年以降、土地家屋調査士となったのだから、その日から急にブライドや品位を持ち合 わせる筈もなく、また高度な技術や知識を求められる筈がありません。 その上、大正の判例ですから、責任能力のある地積測量図が残る筈がありません。 ♯ また、昭和35年登記法が改正されてから、一元化が完了する頃までは(トチカヤ氏の地 域では昭和46年2月)、受託事件のほとんどを司法書士が受託して、調査士に測量や分 筆の指図をしておりました。 それは、土地台帳の登録と登記簿表題部の記載が一致しなければ、その後の登記が受理さ れなかったので、受託事件の大半が司法書士に依頼されたためです。 現在の建物登記に似ています。 なかには、職印を司法書士に預けて置かないと、仕事がもらえなかった、と言う話さえありま す。 悪い言葉で表現するなら、司法書士の小使いさん、だったようです。 その地位は、農地開放の前の小作人の身分と同じだったのでは?。 その上、一元化完了までの間は登記制度ととち台帳制度の二元化の中で、登記所の権利の 登記一本槍の体質に、調査士の土地台帳手続(一元化まで)は、現在では考えられないよう な、低い次元でしか扱われなかったのです。 「表示なんかどうでもええんよ!」 当時の地積測量図が、そのことを如実に物語っております。 調査士が責任能力のある仕事など出来る筈がありません。 虐げられた 「おしん」 のように書きましたが、現在と違って、気楽ではあったんですよ。 ♯ そんな調査士の体質を変える転機となったのは、昭和48年頃から盛んになった日本列島 改造論による、土地の細分化と地価高騰に伴う、境界紛争の急増であったと思います。 このころから、社会が信頼のある調査士を求めるようになり、また調査士も、自ら責任能力 のある調査士像を目指して、切磋琢磨をするようになったのです。 愛媛会では、役員の献身的な活躍によって、顧問弁護士の講演や民事局から講師を招請し て、 調査士の職能と注意義務について。 また、職能的地位を高めるための責任範囲について。 また、原始境界確認について、その当事者適格について等の研修を数多くこなし、 測量技術においても、測量理論や誤差論、基準点設置の研修等、長年に渡って実施して、 調査士の地位と責任能力を高めてきたのです。 やっと、その成果が見え始めたのは、昭和60年ころではなかったかと思います。鷹の子地 区の17条地図作製が立証しております。 それまでは、昭和52年の事務取扱要領に、境界の立会が義務ずけられて、境界の立会は しても、それは現況を立ち会っただけで、 原始境界を確認するようになったのは、一部の特殊な作業を除いて、やはり昭和60年頃の ことだったと思います。 新人の皆さん! 今皆さんが行なっている調査確認作業は、先輩達が、苦労を重ねて、つい最近、やっと確立 してきたものです。 皆さんが確立したものではありません。 現在の法令や、進歩した現在の社会では必要な手続きも、過去の法令や社会背景では必 要でなかったし、国民もそれで満足していたのです。 そのような時代の地積測量図を取り上げて、現在のものと重ね合わせて、誹謗してはいけま せん。 新幹線に乗りながら、江戸の「おかご」を誹謗するのと同じです。 先輩たちは、その時代、その時代の法令や判例に従って手続きをしてきたのです。 それを社会も認めてのことなのです。 20年後に、皆さんが今作製している地積測量図を、20年後の新人が、こんな品位もプライ ドも無い仕事をして、と誹謗されない保証はどこにもないのです。 その証拠に、境界とは、の概念すらまだまだ十分に確立されていないのです。
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