GPS測量の技術に願いを込めて
1989年暮れから橘湾周辺で発生していた群発地震は、次第に雲仙方向に移動していった。
1990年11月17日、突然の水蒸気爆発によって長崎雲仙普賢岳の噴火が始まった。
国土地理院は緊急に機動観測班を投入し、山体変化(地殻変動)の監視を開始した。

小さく水蒸気をあげる雲仙普賢岳、この頃はまだ静かだった。
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島原地震火山観測所の庭に設置(固定)された
GPSアンテナ |
島原地震火山観測所の内部
この部屋が観測基地となった。。 |
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| 24時間観測を続けていたミニマック |
各観側点のデータはここに集められた |
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三等三角点 矢岳 に設置されたGPS観測機
後方に見えるのが雲仙普賢岳 |
三等三角点 矢岳 |
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山体の状況を観察する。 |
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島原地震火山観測所の屋上に設置された
GPSアンテナ、長期の観測に耐えるように
三脚の先端が固定されている。 |

眉山山頂観測点、森林組合の協力を得て
GPS観測のために多くの樹木が伐採された。
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二等三角点 眉山 後方の鳥居は、七面大天女宮
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左は空を覆う噴煙
GPS観測によって、雲仙岳周辺島原半島の地殻
変動は正確に把握されていた。
だが残念ながら、1991年6月3日の大火砕流に
よって多くの人命が失われた。
フランスの火山学者であるクラフト夫妻が火砕流
で命を落としたことでもわかるように、火山学者の
予想を超えた事態であった。
多くの人命を奪いながら雲仙普賢岳は1995年
2月に噴火活動を停止した。 |
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GPS測量の有用性は確認されたが、人命を救うまでに至らなかったことは残念である。
その後、1995年に発生した阪神大震災の大惨事の教訓から、火山地震列島である
日本の全容を把握するために、世界一のシステム、国土地理院のGEONET
(GPS連続観測システム)が整備されることになった。
私達はこの間、失われた多くの命のことを忘れてはいけない。
GPS測量の技術に願いをこめて、この技術の更なる発展を。