境界が変わる

地籍調査地区ならではの筆界特定

平成の合併により人口4万人の市となった田舎町,その中心部分をほぼ南北に延びる延長約1.5qの市道がある。この市道は,昭和60年に県から町に移管され,その後,平成16年に5町が合併して町が市となり自動的に市道となった。

この道路は,明冶38年に民地を分筆・所有権移転して有効幅員4.40mの新設県道として開設された。町の中心部に位置していたことから,この道路を中心に商店街が形成された。交通量の増加にともない,大型車の離合が出来ない道路幅であることから,商店街の復興のために,昭和35年,道路の両側を同時に拡幅して有効幅員5.50mの県道とした。

昭和35年に道路工事を先行して行い,拡幅部分の登記については,県が昭和38年に分筆・所有権移転登記(分筆申告書あり)を行なっている。

その後,道路舗装・水路等の各種の工事は行われているが,新たな道路拡幅のための登記はなされず,道路と民地との境界について変化はない。

昭和45年に地籍調査が実施され,昭和60年には県から町に移管され現在に至っている。

そうすると道路と民地の境界位置は,分筆登記がなされた位置が境界であり,地籍調査はその位置を測り直したものであるはずだ。

本事例は,分筆・合筆がくりかえされて,かなり複雑な事例であるので簡素化して必要部分のみを説明する。また,本事例では地籍調査と同時に地番が変更されており,新旧の地番が存在するが,旧地番で統一して表示する。法14条第1項地図と全体の形状は一致しており,問題となる道路と民地との境界についても地図表記には10cm程度の相違がみられるだけなので,ここでは法14条第1項地図を使用しての説明はしない。 

分筆時の事情

昭和35年の土地の提供時には,県道の1区画南側に位置する国道はまだ開通していない状態で,県道は商店街を形成する必要不可欠の場所で,路線バスも通行する交通量の多い主要な道路であった。そのため路面をかまぼこ型に舗装にして,車両の通行のために最大限の空間を確保していたが,大型車の離合が出来ず,商店街の繁栄の為には道路拡幅が必要であると住民からの運動が起こった。

既に住宅や店舗の立ち並ぶ場所であり,必要な道路幅を確保するため居宅や店舗の庇部分を切り取り,最大限の土地を寄付したものである。この事実については,多くの住民の証言があるが,今でも1階の軒先を切った建物や,建物の柱の土台が道路の有効幅員ぎりぎりのB位置に接している建物が多く残っている。

昭和38年,道路拡幅工事後,町担当者が県に先行して寄付地の登記手続きの交渉を行い,交渉成立後,県(土木事務所)が嘱託登記手続きを行った。

一方,昭和40年前後に町が土地分譲の為に,嘱託登記で多くの土地を分筆しているが,道路との境界は,コンクリート擁壁の立ち上がり部分であり,図2B位置としている。

これは昭和56年当時の土地分譲まで継続され,県から道路幅員について指導を受けるまで続けられていたことが確認されている。

当時の一般的な扱いとして,道路との境界をB部分とすることが,特殊な処理でなかった事がわかる。

昭和45年にこの地域の地籍調査が実施されたが,地籍調査の現況主義により図2A位置まで道路部分として扱われた。

県道であった昭和60年まで(県の土木事務所の管理であった頃)は,県の土木事務所はこの事情を承知しており,この県道の境界明示や地図訂正を行うための隣接境界線証明書等によればB位置を県道との境界として処理しており,B位置での地図訂正・地積更正・分筆登記が行われていた。

昭和60年に県から町に移管され町道となり,町役場建設課が県の土木事務所にかわり境界確認を行うこととなった。

昭和62年から官民の境界確認書の交付が一般的になり,その境界確認においては平成9年までB位置が本市道と民地との境界として処理され,町から交付された官民境界確認書が多数存在している。

更に,昭和60年と平成4年に町総務課から依頼を受け,問題となっている道路に接している町有地をそれぞれ分筆したものが残っている。

昭和60年の処理については,地図訂正・地積更正・分筆のために町建設課の立会を受け,隣接線証明書の交付がされている。既提出の地積測量図には道路との境界位置をB位置として図示している。

平成4年の処理については,町役場建設課から官民境界確認書の交付を受け分筆している。境界確認書には現地に残る境界標識の写真もありB位置での確認とされている。現地の境界標識は写真のとおりであり異動はない。

町に移管されてから、平成7年頃まではBの位置で単純に境界確認をしていたが,道路法との兼ね合いもあり,境界確認時に管理境界についても触れ,その位置については,「A位置までは道路の管理幅として新たな工事を行う場合には構造物を設置しない。」という注意書きを記載してB位置での境界確認をする筆界と管理境界を併記する方法に変更された。

しかし,平成9年の町道との境界の立会時,町役場建設課境界確認担当者から「コンクリート擁壁は道路構造物であり,構造物はすべて市道部分である。したがってA位置でないと町役場建設課は境界確認を交付しない。土地家屋調査士が自主的に控えた位置で境界確認申請を提出すれば,町として境界確認に応じるが,以前どおりの境界確認位置であれば認めない」という姿勢になり、何等その理由や根拠となる文章・事実を示されることはなかった。(後日,問題となる上司と同一人の指示であった。)

A位置とB位置は10cm程度の距離である。道路法の管理境界と筆界は別である事。また,地籍調査の地図訂正を恐れての事ならば,該当地区の法14条地図の精度は甲3,縮尺500分の1である。市道幅の地図表記が5.80mであり,BB´の距離は5.50m0.30mの相違となり許容誤差0.28mを超えるが,民地側からすれば,民地の奥行きに対して0.15m程の相違であり十分誤差の範囲内である。

したがって地図を訂正する必要もないことを市担当者に説明しても聞く耳を持たない状態であった。「管理境界」,「所有権の境界」そして「筆界」の相違が解らず,単に自分達の処理が面倒だから管理境界により,すべてを統一したいだけのようである。

それ以降,この道路については平成16年の合併で市道となってもB位置では境界を確認されることはなかった。事実を知る者として,この市道に関連する測量・境界確認そして分筆・地積更正・地図訂正の登記については,その前提となる官民の境界確定申請すら出来ず,依頼者にお断りをするしかない状態であった。

平成19年,K氏からこの市道と隣接している土地の分筆依頼があった。

K氏の母親は,市道との境界について,その経緯を良く承知されており,K氏に説明されていた。市役所の対応に不信感を持ったK氏は,分筆について急ぐ必要はなく,正しい境界(筆界)で登記処理が出来る方法で行ってくれとの事であった。

そこで市役所に対し,B位置で境界確認申請を提出し,現地での立会時,市役所の境界確認担当者(担当となり2年目)にこれまでの経緯を説明し,筆界はB位置であることを主張した。

担当者は「持ち帰り相談する」との事で別れた。1週間後,担当者が私の事務所に立ち寄り、自分が境界確認を担当してから,A位置で境界確認書を交付している。混乱を生じる恐れもありA位置での境界確認に応じてくれないかとの事であった。これまでの境界確認書等の資料や,昭和35年当時の事情を承知してB位置を主張される土地所有者も多数存在している事を説明すると,内容を理解され,昭和35年の寄付による分筆経緯も納得された。

しかし,翌日再び私の事務所に来られ,「上司が理解してくれない。」との事である。「A位置を正しいとする事実,または証拠書類があるのですか。証拠があるのなら,私も納得しますよ。」と言うと,「何もありません。上司がそう言っているだけです。」

上司(平成9年当時からの人物)は平成9年までの処理が誤りであり,地籍調査の結果が正しいとの一点張りのようである。直接,分筆・所有権移転登記をして土地所有者となった県がB位置での境界確認を行い,それを引き継いだ市もB位置で境界確認を行い、引き継ぎから10年以上経過した時点でA位置だという矛盾。しかも,平成9年までの処理は誤りとの主張である。

本件は,分筆により創設された境界であり,役所の1個人の勝手な判断で境界を変える事など出来ないはずである。市役所の担当者も上司の説得に困り果て,法務局の筆界特定制度を利用することとした。

事前調査

地籍図14条第1項地図地区の分筆を依頼された場合,通常であれば土地台帳附属地図については,その土地の所在位置と法141項地図との位置関係を対比し,地図訂正が必要とされるか否かの確認の有無を簡単に調査する程度である。筆界特定制度を利用するには,当然の事ながら詳細に筆界を調査・確認する必要がある。法務局に行き,改めて土地台帳附属地図,申請地を含む周辺土地の土地台帳,閉鎖登記簿,全部事項証明書を収集し,法14条第1項地図と確認を行う。更に県立図書館に行き,畝順帳の写しを取った。

今回の事例で,直接該当する土地の配置等が相違して地図訂正の必要なものであれば,逐次処理された分筆登記自体に疑問が生じ,既提出の地積測量図から筆界を復元することの信用性が無くなる。

土地台帳附属地図と畝順帳記載の一筆地に隣接する道路・水路の長さ・巾を確認して,土地台帳附属地図の状態に,畝順帳の記載事項 1-278 東溝 長さ5間,巾6合,

1-277 東溝 長さ15間,巾4合,

1-274 南道 長さ22間,巾6合,

1-439 西道 長さ10間,巾1間を記載する(図4)。

明治38年に,(図4)の相隣接する1-277番の土地と1-278番の土地を分筆し,1-277-21-278-2の土地を道路敷地として買収した。(図5

明治45年,分筆残地となった1-278-1は,1-278-11-278-31-278-43筆に分筆された。1-277-11-277-11-277-31-277-43筆に分筆された。

また,分筆後の1-277-1は南側隣接地1-274に合筆され,合筆後の1-274は,1-274-11-274-21-274-31-274-41-274-55筆に(図6)のとおり分筆された。

昭和35年の県道拡幅前に,1-278-1東側の水路・道路について,既存水路の西側の民地を提供した形で1m巾の暗渠水路を設置して,結果的に道路幅を従来の水路と道路を合わせた2.5mから3mに拡幅され,民地(1-278-1)を0.5mほど提供した状態となっていた。

昭和38年,県道拡幅に合わせて(図7)のように道路北側の1-278-4から1-278-5が,1-278-3から1-278-61-278-1から1-278-6が分筆・寄付された。 道路南側については,1-277-4から1-277-5が,1-277-3から1-277-6が,1-274-1から1-274-6の土地が分筆され県道拡幅部分の土地として寄付されている。

(図7)の状態となった後,昭和45年の地籍調査により,1-278-11-278-3そして1-278-3は同一所有者であったため合筆され,1-278-1となったが今回利用目的に応じて分筆するという依頼であった。

公図・畝順帳・土地台帳・登記簿の調査により概要は調査することが出来たが,筆界の詳細を決定するための証拠となる明治38年,昭和38年の分筆申告書およびその添付図面について,市役所から入手出来ずにいた。

筆界特定申請

平成199月,代理人として筆界特定申請書を提出したところ,筆界特定登記官から連絡が入り,市役所の会議室で筆界特定登記官,市役所建設課と事前の打ち合わせをする事となった。

席上,筆界特定登記官から,今後の筆界特定の進行についての説明とともに「地籍調査は行政処分ではないので,筆界の根拠にはなりません。」との指摘が双方にある。

当事務所が保存していた平成9年までの市道に隣接する土地の官民境界確認書の写しを証拠資料として提出していたが,市役所建設課は過去の官民境界確認申請書については保存していないと言う事である。

本来,根拠としたい明治38年と昭和38年の分筆申告書およびその添付図面は,10年ほど前に別の事件で請求をしたところ交付されている。本事例について絶対に必要なものであることから,市役所税務課に写しの請求をしたのだが,交付を拒否されていた。

筆界登記官もその必要性を認め,市役所担当者に対し分筆申告書および添付図面写しの提出を求めた。

分筆申告書添付の測量図

10月下旬に市役所担当者から,分筆申告書・添付図面の写しの提出があった。

分筆申告書の添付図面を利用して作成した境界確定のため証拠となる詳細な書類,そして境界を復元出来る合理的な測量図を作成しなければならない。

明冶38年の分筆申告書添付の測量図は,三斜法で求積され,尺貫法による表示で底辺と高さのみ距離が記載されている。特徴のある形状であるが,カーボン紙を使用して複写された図面で,定められた縮尺の表示ではない。

平板測量を行い三斜法による寸法で面積を計算された後,申請用の分筆図に,任意の1筆地の形状を作成して,改めて測量により得られた底辺・高さの記載をしたものである。現在のように,定められた縮尺により作成された図面ではない。

申請地に隣接する市道については,もともと道路・水路の無い場所であり,明治38年に1-278番と,直接隣接していた1-277からそれぞれに分筆されている。

更に昭和38年までに申請地1-2783筆に分筆されているが,道路に接する部分の土地を拡幅分筆,1-2774筆に分筆されていたが,同様に道路に隣接する部分を拡幅の為に分筆されている。

まず,明冶38年の分筆申告書の分筆図をもとに,三斜計算の底辺・高さに記載の尺貫法での記載をメートル法に直し,現況平面図にその形状を当て込み,本来の形状を求めて,適切な距離を探るため1センチ単位での試行錯誤を繰り返す。




 2筆の土地が,互いに接していることに間違いはなく,その間に隙間が生じるはずのない土地である。そこで,二つの測量図のなかで同一点と思われる位置を探り,分筆図を組み合わせる作業を行う。特徴のある形状のa,b,cは同一点と思われる。1間を1.818mでメートル法に換算し換算するところから開始して,双方の分筆図を隙間なく組み合わせることになる寸法を探る。まずは手書きで三角定規を使用して100分の1の縮尺の図面作成を行う。ほぼ満足の出来る形状になると,今度はその形状を読み取り,CAD上の処理に変更して,矛盾のないように詳細に検討する。

三斜法による底辺と高さの寸法について,明治38年の測量図は0.1間単位の距離(18cm)の表示であることから,四捨五入,切り捨て,切り上げによる端数(9cm未満)を考慮する。隣接の三角形と矛盾が生じないよう測量図記載の尺貫法の数値を変換した値から始め,一筆地の測量図の底辺と高さを1cm単位で修正・変更して,隣接する三角形の形状に矛盾の生じないようの試行錯誤を繰り返した。

1-278-21-277-22つの測量図の形状に隙間がなく,寸法および形状に矛盾のないようにする。

1-277-21-278-2の接している直線ab上で,1-278-2では折れ点があり,1-277-2の測量図は直線である。これは1-278-2の位置の1-278-1との側のⓐの位置に折れ点があり,求積のための三角形の組み方として,このような三角形になったものと思われる。

また,東側の@ABの三角形で,@底辺2.55m,高さ0.91m,A底辺15.27m,高さ0.73m,B底辺38.00m,高さ1.67mの三角形の形状であれば,三角形同士の形状に矛盾が生じるがBの三角形の高さ1.67m1.71mとすれば,この矛盾が解消される。1-278-2の三斜計算の内,高さ1.67m1.71mが適切であると思われ,(図9)の合成図が最終的に出来あがった。

(図9)から,県道の北側部分(1-278-1-2の分筆線)は,1つの屈曲点ⓐが存在し,やや曲がりがある。南側部分(1-277-1-2の分筆線)の屈曲点ⓑは明らかに曲がっている事がわかる。ⓐは県道の内側の小さな曲がり,ⓑは県道の外側の大きな曲がりと思われる。

現在も,この位置は直線にみえる市道の中にあって大きな曲線の頂点の位置となっている。

昭和38年の分筆図(図10)は単純に間口と幅による長方形での求積がされている測量図である。その測量図を作成する前提として,町から土地所有者に対して登記前に寄付面積の確認文書が土地所有者に対して出されている。この文書はあらかじめ間口と奥行きの欄を印刷して,土地所有者に確認を求めている文書であり,形状的な確認(測量図の添付はない)はない。

北側の土地(1-278-1-3-4)は3筆とも奥行きが0.45間で同一である,南側の3筆の土地(1-274-11-277-3-4)については隣接する土地の奥行きが相違している。現地は宅地が隣接している場所であり,隣接地との高低差は存在せず,道路との段差もない場所であることから,連続した形状である。

このことから寄付された形状は,間口と奥行きの最大幅を記載しているものであり,本申請地の求積の形状は三角形もしくは台形の土地であっても長方形で表示されているものと推定される。

昭和38年の道路拡幅の際に提出された測量図を調査すると,県道が直線の区間については,均等に両側に0.3間巾の拡幅が行われている。申請地については両側が均等に拡幅されず,1筆毎の形状が相違していることから,(図9)の明治時代の曲がりを緩やかにする処理も同時に行われたことは明らかである。

そこで,(図9)に(図10)の形状を組み合わせ(図11)を作成した。

あらかじめ現況測量により作成した現況平面図の道路部分にはめ込むと,現況道路について隣接地との間に段差はない。ここで,1-278-6の奥行きの距離については1-278-1-3-4の土地は同一人の所有地であったことから,それぞれの土地毎に奥行きを記載されたものではなく,隣接する3筆を合わせ,その奥行きの最大幅を記載したものと容易に推定することが出来る。

 

また,分筆・寄付の登記のない1-274-5については(図9)に示す明治時代の曲がりの頂点位置ⓑが存在する位置であることから,拡幅されなかった可能性が大きい。形状的に頂点ⓑを中心に三角形2つの出来る形状であり,その最大拡幅幅も誤差の範囲と思われる0.1間以下であったため登記されなかったものと判断した。

 1筆地の形状を分筆申告書に添付された測量図を参考に,m単位に換算して0.05間(9cm)単位の端数(±4cm)の組み合わせをcm単位で丹念に繰り返すと,分筆位置がB位置であると思われる組み合わせを探り出すことが出来た。

しかし,(図12)を作成するにあたり,1-274-1の区間の東側で南北の延びる道路と交差する部分について一部5.50mを超える部分が生じた。これは1-274-6の東側を0.15間×1.818m=0.27mとして単純に換算した結果である。許容誤差範囲内(±4cm)の0.23mとすれば西側の奥行きも0.12mから0.10mとなり,1-274-6について登記を行わなかった理由として最大奥行きが0.05間であり,誤差範囲内としたという理由づけも明確になる。これにより申請位置全てがB位置での道路幅である5.49m5.52m以内となった。

 

(図12)のとおり,道路との境界がBB´位置であることを示す合理的な測量図の組み合わせが判明したので,これを主張する境界の根拠となる明治38年・昭和38年分筆申告書添付図面による測量図として作成した。

さらに,市道の延長1.4qにわたり,寄付により軒先を切った後のある建物と,その下の道路構造物との関係について20個所の地点での現況写真を撮影し,状況証拠として添付。平成9年までの境界確認書の写しは最初に提出しているので,K氏の母親による「B位置が県道として寄付を行った位置である。」との内容の陳述書を作成したのは12月中旬になっていた。

そして,ほぼ同時期に筆界登記官より,意見書の催告があり,以上の書類により意見書を作成して,催告のあった翌日,筆界登記官に提出した。

市役所の対応

市役所は,昭和35年当時の道路拡幅にあたって議会に陳情され,議案として提出された計画断面図を資料として提出した。県道拡幅の資料として,寸法の表示のない計画断面図が1つだけ記載されている。その断面図には,A位置までの道路構造物が全部描かれていることからA位置を境界とする根拠とした。分筆申告書の添付図面を使用しての境界位置に関する意見書の提出等は無かった。

また,本地区の地籍調査は役場職員により,調査・測量が行われたことから,昭和45年当時地籍調査に従事して既に定年退職している役場職員三人の「地籍調査はA位置での立会であり,土地所有者との対立はなく,測量についてもA位置での測量であった。」という陳述書を添付し,境界は地籍調査どおりであるとした。

その後

平成201月中旬にあった筆界特定期日でのやりとり等,詳細を記載することはしないが,市役所の問題の上司は4月で他の部署に異動となり,平成206月に B位置で筆界特定の決定があった。

本事案は,地籍調査の問題ではない。権力を持つ側の「筆界」に対する理解のなさ,そしてそれによる何等根拠のない「ごり押し」が問題だった。

状況証拠や住民の証言等が多数存在することから,道路のB位置での証明は簡単そうに思える。

しかし,筆界特定をするためには証拠書類(登記申請書類)からの合理的な立証が必要である。幸運にも信頼の出来る証拠書類が存在して,そこから合理的な証明を導き出すことが出来た(と,思っている)が,すべてがこのようにいくとは限らない。

筆界特定登記官や筆界調査委員(土地家屋調査士)が,これを合理的な証明と判断したかは定かではない。少なくとも筆界調査委員となる土地家屋調査士にとっては最低限の知識である。過去の測量図の内容を理解し,代理人が証明する過程での矛盾や合理性を判断するという,更に上をいく能力が必要とされている。

 

筆界の決定から3年後,隣接土地の分筆の際に,直接の民・民境界と道路と民地との三者境界の立会を願ったのだが,その中の一人が今回の市役所からの陳述書に押印していた地籍調査に従事していた市役所OBであった。その際,「道路との境界はどうなったのか。」と質問があり,「B位置となりました。」と回答すると,ホッとしたように「寄付で出した土地だから,B位置で間違いない。」との事であった。彼も土地所有者としての立場と地籍調査に従事した役場職員として立場との板挟みで悩まれていたようだ。

 

上司も最初は管理境界と筆界の相違が解らず,立場を利用して同一にしようとしていたが,最後は自分の「メンツ」にこだわり,地籍調査に従事していた役場職員OBに詳しい内容を説明もせず自分が作成した陳述書への押印を頼んだようだ。

地籍調査の成果を否定する訳でも,「しゃくし定規」なことを言うつもりはない。むしろ安定した状態で,皆が認めているのであれば地籍調査の成果を活用すべきであるとさえ思っている。

本事案は,平成9年当時,役場建設課が境界確認位置を変更しようとした時点で,専門家である我々が市に対して一致団結してその誤りを主張していれば,筆界特定申請までして境界を確定する必要はなかっただろう。「ごり押し」をされた境界で業務を行い,その誤りが後日判明すれば,いくら官民の境界確認書の交付を受けていたとしても,調査を怠っていたとして「専門家としての責任」を追及される。

 土地家屋調査士として,「筆界」,「所有権の境界」そして「管理境界」の意味を明確に頭の中に刻み,臨機応変に業務を行う必要がある。


第4章 地籍図14条1項地図
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